皇居の北西に位置する飯田橋と神楽坂。
有名な寺社や飲み屋なども多く、普段は多くの人で賑わっています。今回は、そんな飯田橋・神楽坂の見どころをご紹介していきたいと思います。
飯田橋の由来
1590年、徳川家康にこの土地の案内をした人物の名前が、「飯田喜兵衛」という人物であり、その人物の名前から「飯田町」と名付けられました。
その後、交通の便を改善するために1881年に橋を架けたのですが、飯田町に接する橋である事から「飯田橋」と名付けられ現在に至っています。
神楽坂の由来
由来は諸説あります。
・坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから
・津久戸明神が移ってきた時、この坂で神楽を奏したから
・若宮八幡の神楽が聞こえたから
・この坂に赤城明神の神楽堂があったから
など、いずれも神楽にちなんだ諸説があります。
東京大神宮
創建は明治13年で、御祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)です。元々日比谷の地にあった事から、「日比谷大神宮」と呼ばれていましたが、昭和3年に現在の地に移ってからは「飯田橋大神宮」と呼ばれるようになりました。戦後に社名を「東京大神宮」に改名して現在に至ります。
「東京のお伊勢さま」として親しまれているのは、伊勢両宮の御祭神である天照皇大神と豊受大神を祭っているためです。また、日本で最初の神前結婚式を行なった場所でも有名で、現在も結婚式が執り行なわれています。縁結びとしても有名で、特に女性の方が多く訪れています。
僕が訪れたのが金曜日の夜だったのですが、女性の方が多くいました。縁結びとして有名なので、女性の方は是非行ってみてください!
千木
神社などの屋根にある横にぴょーんと出ている木材があるのですが、そもそも千木というものはご存知ですか?この千木を見ると、御祭神が男神か女神かが分かるようになっています。
水平に削られている内削ぎの場合「女神」を、縦に削られている外削ぎの場合「男神」を現しています。天照皇大神は女神なので、水平に削られています。
軽子坂
軽子とは、この土地の名前である揚場町(あげばちょう)で働いていた人たちです。この界隈の地名は「揚場町」と呼ばれ、神田川を上る荷船の荷を揚げる場所でした。この地域で積み荷を運ぶ仕事をしていた人たちを「軽子」さんといい、そこから「軽子坂」と呼ばれるようになりました。
ギンレイホールやスターバックスなどがあり、おしゃれな雰囲気を漂わせています。
ギンレイホール
1974年に開業した映画館で、客席数は206席です。東京に残る名画座のひとつです。名画座とは、旧作映画を主体に上映する映画館の事です。
年中無休で、邦画・洋画を問わず上映しています。また、旧作が主体ではありますが、最近の映画も上映しているので、チェックしてみてはいかがでしょうか!
神楽坂仲通り
軽子坂を少し上り左に曲がると見えてきます。看板があるので、少し見上げてもらうと分かると思います。
この通りの面白い所は、「逆転式一方通行」というものが採用されている所です。要は、午前と午後で一方通行の方向が逆転します。
・午前:坂を下る方向
・正午から一時間:歩行者天国
・午後:坂を上る方向
・日曜・祭日:正午から午後8時まで歩行者天国
歩行者の方はあまり気にしなくてもよいですが、運転する方は要注意ですね。。
かくれんぼ横丁
雰囲気のある石畳と格式の高そうな料亭が並び、一度は立ち寄ってみたくなる場所です。少し高そうだったので、僕は見ただけですが。。
「お忍びで遊びに来た人を後ろからつけても横道に入られると見失ってしまう」という所から「かくれんぼ横丁」と名付けられました。実際は見失うほどややこしい道でもないので言いすぎですが(笑)。
グルメ情報
グルメ情報を少しばかりご紹介します!
かみくら
お箸でいただく事のできるフランス料理を提供しています。1階はテーブルクロスのダイニングルーム、2階は4タイプの個室です。
翔山亭
上品で品格のある焼き肉屋です。個室もありますが、宴会などを行なう事もできます。また、リーズナブルなお弁当も提供されていますので、一度注文してみてはいかがでしょうか?
泉鏡花・北原白秋旧居跡
神楽坂から南側(坂の左側)に延びる小栗通りにあります。現在は旧居があるわけではなく、碑と案内板のみです。
結構分かりにくいですし、正面から写真を撮ろうとすると電柱が邪魔でぼちぼち苦労します。。東京理科大学の裏手で調べると分かりやすいかもしれません。
歴史
泉鏡花が彼女の伊藤すずと同棲してましたが、師である尾崎紅葉に同棲が知られてしまいます。伊藤すずは一時的に泉鏡花の元を離れますが、尾崎紅葉没後、伊藤すずは泉鏡花の元に戻り正式に妻となりました。明治39年7月までこの地で過ごしていたとされています。
また、泉鏡花の旧居地であるこの場所は、北原白秋の旧居地でもありました。明治41年10月から約1年間住んでいました。なんかトキワ荘みたいですね。。
見番(けんばん)横丁
若者衆の手配や稽古を行なう「見番」が沿道にあった事から名付けられました。稽古場からは時折、情緒ある三味線の音が聞こえてきます。
鎮護山善国寺
創建は文禄4(1595)年で、日蓮宗の寺院です。
元々は馬喰町に創建されましたが、度々火災に見舞われるなどし、現在の地に移転してきました。現在は「新宿山ノ手七福神」の一つとして数えられています。
本多横丁
神楽坂の横丁では最も大きい横丁です。江戸中期から明治初期にかけて、この通りの東側全域が旗本の本多家の邸地であった事が由来です。
北側(神楽坂を上る方向に右側)へ入った場所にあり、飲食できるお店が多く立ち並んでいます。個人のお店が多く、隠れ家的な場所になっています。
飯田橋駅の謎モニュメント
どうやら「巨大な虫の翅(はね)」をモチーフにしているようです。。
都立小石川後楽園
江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内に作られた築山泉水回遊式の日本庭園です。
水戸徳川家の祖である徳川頼房が、江戸の中屋敷の庭として作ったもので、2代藩主の徳川光圀の代に完成した庭園です。作庭に際し、明の儒教学者である朱舜水の意見を取り入れています。
中国の教えである「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から後楽園と名付けられました。
東京ドームシティ
株式会社東京ドームシティが運営している都市型総合エンターテインメント地区の名称です。東京ドームの愛称「BIG EGG」に因んで「BIG EGG CITY」と呼ばれていましたが、2000年に現在の名称に変更されました。
ジェットコースター「サンダードルフィン」は観覧者の中を通り抜けるジェットコースターで、僕も乗った事はありますが、なかなかスリリングでした。絶叫マシーンが苦手な方はちょっと無理かもしれません。。
ジェットコースターの豆知識
ジェットコースターって右か左、どっちに座るのが怖いかご存知ですか?ジェットコースターがどちら周りかによるのですが、左側と右側では怖さが異なります。
サンダードルフィンの場合、右回転になるので右側に乗っている人のほうが怖さを感じます。理由としては、「内側に座っている席(今回で言うと、右回転で右側の席)の方が傾きが大きいからだそうですが、正直どっちでも絶叫します。。
クリスタルアベニュー沿い
東京ドームの右側に位置しています。東京ドーム周辺は特に入場料も必要ありません。夜だと人も少ないので、散歩するのにはよいかもしれません。東京ドームシティは当然入場料が必要です。
芳文社
キャッチコピーは「漫画の殿堂」。
元々4コマ漫画などで知られていましたが、現在は萌え系漫画で売り上げを伸ばしています。現在はキャッチコピーをもじって、「萌えの殿堂」などと呼ばれています。
神田川と日本橋川の分岐点
神田川から日本橋川へ分岐している場所になります。
日本橋川の知名度が低い理由
神田川の知名度は高いのですが、日本橋川の知名度が低いのはなぜかご存知ですか?
グーグルマップを見ていただくと分かるのですが、日本橋川の上には首都高が通っており、グーグルマップから見ると川がないように見えるんです。神田川と中央に書かれており、その下に日本橋川が伸びていますが首都高で隠れているのが分かりますよね。
東京オリンピックが開催されるにあたり、首都高を整備する必要があったのですが、高速道路を支えるための大きな柱を設置する場所が東京にはなかなかありませんでした。
そこで川の中に柱を設置しようという流れになり、川の上に首都高が通る事になったという経緯があります。
この情報は、東野圭吾の小説『祈りの幕が下りる時』に載っているので興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか?また、『祈りの幕が下りる時』の映画が2018年に公開されるそうです。
飯田橋のマップ(地図)
飯田橋のマップ(地図)になります。
まとめ
今回は飯田橋・神楽坂界隈を散策して見ましたが、思っていた以上に楽しむ事ができました。特に神楽坂界隈は個人でやっているお店も多く、ランチやディナーにはおススメの場所です。
また、横丁などの歴史や風情のある場所も多いので、是非散策して見てください!
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