あなたはこのような事を考えた事がありませんか?
・〇〇は僕(私)よりもスポーツができて勉強もできる。それに引き換え俺(私)は・・・。
・同い年で年収1億稼ぐ人がいるのか。それに引き換え俺(私)は年収200万円・・・。
・〇〇は友達が多くて交友関係が広い。それに引き換え俺(私)は親友と呼べる人間すらいない。
このすべてに共通しているのは、「人と比較してしまう」という事です。人は一人で生きているわけではありません。常に何かを感じ、思い、考え、生きています。
最近は人と比較しない生き方というものが注目されています。例えば、運動会で順位をつけないなどですね。人と比較しないという事で、負けた人は劣等感を抱かず、皆win-winという関係性が成り立つわけですが、果たしてこれが本当に幸せな事なのでしょうか。
僕は人と比較する事は非常に大切な事だと思っています。そして、比較する事なしに人の成長はあり得ないと感じています。ただし、比較する上で考えなくてはならない事があるのも事実です。
という事で今回は、人と比較してしまうというあなたへ、人と比較しても良い理由をお伝えしたいと思います。
人となぜ比較してしまうのか
そもそも、なぜ人は他人と比較してしまうのでしょうか。あなたも一度は「〇〇には負けたくない!」などの競争心を抱いた事があるかと思います。
僕が考えるに、人と比較するというのは人間の正直な気持ちを表しているのだと思います。心理学的な言い方をするなら「普遍的な人間の心理を表している」という事になります。
人は誰しもが「上に立ちたい」「あいつにだけは負けたくない」という気持ちを持つものです。その気持ちがあるからこそ、人は努力しようとするのです。
例えば、この世界があなた一人になってしまったら何かに対して努力しますか?あなたしかいないのに勉強をしますか?努力する意味がないですよね?自分以外の人がいるから人は努力するのです。
アルフレッド・アドラー
人と比較するという事について、自己啓発の元祖と呼ばれるアルフレッド・アドラーはこのように述べています。
人と比較するというのは、人間の普遍的な心理である。人間には優越性の追求という欲求がある。つまり、人と比べて頑張るという気持ちが大切なのだ。
アドラーは、人は優越性を追求するものだと述べています。つまり、「誰かに勝ちたい」や「上に立ちたい」などの気持ちを持つという事ですね。そして、その気持ちを糧として努力する事が大切なのだと述べています。
ハインツ・コフート
また、精神科医のハインツ・コフートはこのように述べています。
人には自己愛を満たしたいという欲求がある。自己愛とは人より優れていると思いたい欲求である。
つまり、人は他人よりも優れていると思いたいという気持ちがあるという事ですね。これは、アドラーの述べている優越性の追求と考え方は同じです。
人と比較しなければ成長しない
最近はなるべく順位をつけないようにする方向にあります。つまり、人と比較をしないようにするという事ですね。僕にも似たような経験がありました。
僕が新入社員となり、新人研修を受けていた時です。僕の勤めていた会社では4月にIT系の資格を受験する事になっています。それに向けての新人研修という感じなので、当然勉強もしますし模試なども研修内で行ないます。
僕が入社する1年前までは模試の点数を貼り出していたのですが、僕の年から点数を貼りだすのは上位何人かだけという事になりました。
これは何を意味しているのかというと、下位にいる人の点数を貼りだすと可哀そうだからやめておこうという事です。上位の人だけ点数を貼りだすのは、点数が良いから貼り出しても問題にならないからです。
このやり方に僕は反対でしたが、当時新人で入社したてだった事もあり、特に何も言う事はありませんでした。
ただこれは少しおかしいと思いませんか。一見すると点数の低い人を気遣っているように感じられますが、実際は下位の人を見下して馬鹿にしているだけです。
人は競争する生き物です。それは勉強でもスポーツでも同様です。自分より上の人間がいるからこそ「なにくそ!」と言って努力する。それが本来のあるべき姿であり、人と比較する事で人は成長するのだと思います。
人と比較する事はだめなのか
あなたがもし人と比較してしまうというのなら、それは正しい事であり、正しい気持ちです。ですので、あなたは何も間違えてはいません。
先ほども見た通り、人は他人と比較してしまう生き物です。この気持ちに対して、「人と比較してはだめだ」と言い聞かしても無理があります。
なぜなら本能レベルで人と比較するという事をしてしまうからです。もはや無意識のレベルですね。
なら、人と比較してしまう自分を一旦受け入れましょう。その上で自分の人生というものを考える必要があります。つまり、自分が比較している対象は間違えていないのかという事です。
比較する対象を間違えてはいないか
人と比較してしまうという気持ちは正しいと言いましたが、あなたがもし比較する対象を間違えているのなら、それは間違った行ないです。
僕の話になってしまいますが、僕は中学生の頃にいじめに遭い、友達をすべて失うという経験をしました。一日にして0です。その時に初めて人とのつながりの重要性に気付きました。人は失って初めてそのありがたみに気付くものですね。
僕は人とのありがたみを理解すると同時に、誰と付き合うべきかを考えるようになりました。なんせ一日ですべてを失ったわけですから。。
そこで、人とのつながりは数ではなく質であるという事を理解しました。そんな僕が友達の多さで人と勝負しようとする事が明らかな間違いだという事は誰にでも分かりますよね。
あなたがサッカーに興味がないのにサッカー選手を見て、「よし!サッカー頑張るぞ!」と努力するのは間違いですよね。
つまり、人は比較してしまう生き物ですが、自分が何に対して比較するべきなのかは自分自身に問わなければなりません。間違った方向に比較したところでそれは何の意味もありません。
人と比較する事は大事、ただし戦う場所を間違えない事
人と比較する事は大切な事であり、人と比較する事で自分の価値を見出す事ができます。比較する対象があって初めて自分というものの存在意義が明確になります。
ただし先ほども見た通り、あなたが戦う場所はどこなのかという事を自問自答する必要があります。もしあなたが自分の戦う場所が分からなくても何ら問題はありません。そもそも、自分が戦う場所はどこなのかを明確に理解している人などほぼいないからです。
自分の戦う場所を見つけるためにやるべき事。それは毎日毎日を一生懸命生きる事です。毎日毎日自問自答し、少しずつ前に進んでいけば、あなたが「ここだ!」と思える場所が見つかるはずです。
あなたがここだと思える場所で必死に戦い続ける事。それこそが本当の幸せなのではないかと思います。
まとめ
人と比較する事は大切な事です。ただし、自分の戦う場所は見極める必要があります。そのためには常に自己研鑽をし、自分を見つめ続ける必要があります。
人と比較しないという考え方が浸透していますが、人と比較せずして人の成長はあり得ません。生きていくという事は自分を成長させる事と同義だと思っています。
あなたが人と比較してしまうとしてもそれは決して間違いではありません。まずは自分の気持ちに正直になり、自分の戦う場所を決め、その場所で負けていると思うなら誰よりも努力しましょう。
そうすれば人生はより良い方向に進んでいくと思います。僕も日々成長中なので、一緒に努力していきましょう。